SNSでの誹謗中傷「SNSいじめ」のメカニズム【書き起こし】
2020/08/21

1. SNSでの誹謗中傷
SNSでの誹謗中傷はなぜ起こるのか?
最近、某リアリティ番組が話題になりましたが、本日はどうすれば我々のSNS発信にそこから得た知見を生かせるかというお話です。ですから、あえて番組名や特定の亡くなった方の名前は伏せたいと思います。 まずSNSでの誹謗中傷、いわゆる「SNSいじめ」はなぜ起こるのでしょう。いじめる側の性格が悪い、悪人だから、という答えは半分だけ正しいです。
小さなコミュニティでの正義≠大きなコミュニティでの正義

いじめる側の理屈=普通から外れたら叩くことが正義
多くの学校いじめも、このような動機で起こることが多いです。 例えば「キモイ」「ハゲ」「デブ」のような相手の属性や特徴をけなす言葉遣いですが、学校の中だと実は正義だったりします。学校の中ではいわゆる「普通」というものが想定されています。ほどほどの身長や体格、偏差値50ぐらいの学力、といった「普通」です。 特に日本の学校の場合は、この「普通」から外れたら叩くことが正義になりやすい。しかし、相手が自殺すると、急に社会問題になって正義の基準が変わるという構図ですね。 ネットのいじめも同じで、いじめる側は「相手が死ぬんじゃないか」、「自殺するんじゃないか」とは思っていません。そう思っている人もいるでしょうが、その村の論理で生活している限りは、周りに同調しないと自分がいじめられる側になりますから、言い出せないのです。 いざ相手が自殺して、社会の論理が外から持ち込まれると「自分は本当はいじめるのは嫌だった」と今さら言うわけです。このように、学校のいじめと全く同じことがネットで起こっているといえます。2. メディアの影響
メディアがコミュニティに及ぼす影響
実際に、メディアによって善悪を判断するコミュニティの範囲が急に書き換わることはよくあります。 学校のいじめ問題がこれほど大きくなったのは、昔に比べていじめの質が変わったから、という意見がありますが、さまざまな見解があるため今回は言及しません。しかし、一つはやはりテレビの影響です。 テレビや新聞で、いじめで自殺した子どものことが報じられるとします。子どもが死ぬということは社会的にすごくインパクトがあることですから、人々は「なんでこんなことが起こったんだ」と憤り、急にその正義の基準であるコミュニティが拡大されます。そこで、正義と悪が変化するのですね。
コロナ禍での「自粛警察」
「自粛警察」も似ていますね。「お上が言うのだから自粛はいいことだ」と、自粛しない家に匿名で嫌がらせをするのが流行っていましたが、これも徐々に「そもそも政府が間違っているのではないか」、「死者数は少ないじゃないか」と、自粛警察の方が叩かれるようになりました。 法律違反ではないのに、自分の意思で店を開けている飲食店などを叩くのはおかしい、という意見が多数派になると、自粛警察をしていた人たちは消えていったのです。 つまりこのときの彼らの正義とは、狭い世界の中や限られたタイミングで通用していた小さい正義であって、環境が許していたから、正義という名のもとに残虐性を発揮していたのです。ネットやSNSに限った話ではなく、このように、正義は前提が変わればガラッと変わることがあります。3. 匿名性と集団性
ネットのいじめは過激化しやすい


4. 企業の動き方
企業はどう動くか?
企業はこのような状況でどう行動すべきでしょう。その期間、発信自体を自粛すればいいということではありません。 なぜなら、過去の発言を取り上げられて炎上する場合もあるからです。それよりも自分の正義を貫くことのほうが、実はよほど重要です。 この典型例が堀江貴文さんです。堀江さんはコロナ流行の初期に、「この程度で行動を自粛するのか」、「経済がシュリンクするほうが人が死ぬ」という趣旨の発言をしていました。「致死率も現時点では低い」、「こんなウイルスで大騒ぎしてどうするの」と言い続けたので、世間からはものすごく叩かれて炎上したわけです。 しかし、感染症の専門家と話す機会を設け、「行動の自粛ではなく医療崩壊を防ぐ工夫が必要だ」など考えをアップデートしながら、最初から一貫して主張していた「経済が大事」という主張は変えませんでした。 最近では、自粛による予想以上の経済へのダメージや、人々の気分の落ち込みが問題視されています。日本の場合は死者数も少なかったので、「堀江さんが実は正しいんじゃないか」という空気に変わってきた、ということがあります。前提条件が変わると正義の基準が変わる
前提条件や空気が変わると、その正義の基準は変わります。ですから、企業として本当にすべきことは、自分の正義を磨くことです。多少の状況の変化に負けないような正義を確立し、世の中の基準が一時的に変わってもそれを貫くことが重要です。 もし、その正義の基準に合致しない行動、発言によって叩かれたなら「ごめんなさい、これは私たちらしくなかった」と謝罪すべきです。しかし、そうでなければ「私たちはこれが正しいと思うんだ」と言い続けましょう。それが後に大きなリターンとなって返ってきます。 叩く人たちというのは、多数派のように見えて、実は孤独で少数派なケースがほとんどです。もし企業の発言が炎上したとして、最初は叩く人たちの勢いに負けて静観していた人も、企業の主張が正しいと思えば擁護してくれるようになる可能性が高い。状況や空気が変わってもブレない正義を掲げることで、企業の評価は上がるのです。ですから、正義を貫くということは重要です。
誹謗中傷か批判かは言葉によって線引きできない
今回、問題の番組は、自分たちの正義に自信がなかったかもしれません。番組は中止されましたが、最初からある程度こうなることは想定できたはずです。 誹謗中傷と、正義感や批判の線引きは難しい問題です。例えば、勇者様が魔王に向かって「死ね」と剣を振りかざすのは誹謗中傷じゃないですよね。でも、道行く人に向かって「死ね」と言うのは誹謗中傷です。 このように、誹謗中傷なのか批判なのかは、言葉によって線引きできないという問題があります。だからこそ、番組がその線引きを曖昧にして、人々の正義感を焚きつけてネットを盛り上げ、視聴者を獲得していたという側面は否めません。 初めから前提として「炎上を前提としたフィクションです」といった構成であればよかったかもしれません。このように、企業はいろいろな状況を想定した上で自分たちの正義を確立し、どんな状況になってもそれを貫くことは非常に重要です。5. 最後に
本記事の内容は「ガイアックス ソーシャルメディアラボ」の公式YouTubeチャンネルでも配信しています。 同チャンネルではSNSマーケティングの基本から、世の中で話題のケーススタディを取り上げて分かりやすく解説しています。ぜひチャンネル登録をよろしくお願いいたします!この記事を書いた人:重枝義樹

マーケター。ソーシャルメディアマーケティング事業部 部長。ガイアックスでは大手企業、官公庁中心にソーシャルメディアマーケティングの支援を行う。ガイアックスでの5年に及ぶ経験をもとに、本気でソーシャルをやりたい人のためにSNS禁止のガチ勉強会も行う。